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今から約500年前…日本ではちょんまげ頭に刀を携えた強者たちが群雄割拠し、各地で武力によるのし上がり合戦が繰り広げられていた。

 

そんな戦国時代では、桶狭間の戦い、本能寺の変、関ヶ原の戦い…など、これまで日本国内の出来事ばかりが注目されてきた、、、

 

しかし、その裏で現代ではほとんど語られていない真実がある。それは、戦国日本と世界との戦いである。

 

実は、戦国時代は日本が初めて海の向こうの側と結びつき、世界の歴史を180°変えてしまった時代でもあった。

 

その一幕を明かしたのが、1942年に出版された『西班牙古文書を通じて見たる日本と比律賓』である。これからGHQが処分した『西班牙古文書を通じて見たる日本と比律賓』に基づいてお話しします…

 

1500年代…
アジアに訪れた最大のピンチ

(P25)

一五七一年、レガスピはルソン島を平定し、同年その本拠をマニラに移して、比島植民の準備を整えた。彼は比島平定の余勢をかって日本及び琉球をも征服しようとした。当時のフィリピンを征服したように容易に日本をも征服できるものと考えていたらしい。(中略)

 

当時スペインは旭日昇天の勢を示し、日本など取るに足らない、との意気であった。

 

日本が戦国時代を迎えた当時…世界は大航海時代。冒険家として知られるコロンブス、ヴァスコ・ダ・ガマ、マゼランを代表とした白人たちは富と領土を求めて世界に進出した。

 

『新大陸の発見』と言えば、聞こえはいいが、実際には、自分たちが知らない他国に軍隊を送り込んで、殺戮と掠奪による侵略行為の他にならなかった。

 

実際にスペイン、ポルトガルの二カ国は、アステカ帝国やインカ帝国を滅し、アメリカ大陸、アフリカ大陸、オーストラリア、そしてアジアへと、もはや世界を飲み込む勢いで植民地を増やしていった。

 

そんな彼らの最後の矛先は、フィリピンと日本…しかし、この二カ国には共通する秘密があり、ついに白人たちはアジア侵略を諦めるに至ったのだ。その秘密は本書に次のように記されている。その一部をご紹介すると、、、

日本を甘く見たスペイン人の
末路...

(P30)

ペナロサからフェリペ二世への報告によると、日本人はサント・ジュセブ号を十八隻の船をもって攻撃した。

 

しかるにこの時スペイン方では、船員を除けば船に乗っている兵士はわずか六十人に過ぎず、しかもその中には比島人も交じっていたのに、日本側は一千人にも達する兵力であったから、スペイン方はいかんともする事が出来なかったと言っている。

 

日本側の数は大分誇張されているように思われるが、とにかく非常に多くの日本人が来ていたに違いない。ペナロサはまたこの報告の中で、日本人は数が多いばかりでなく、「勇敢にして戦闘に巧みなる人種」であると、日本人の武勇に驚嘆している

 

(P31)

日本人と接触する事によって、日本人というものが決して征服し得る人種でない事を知り、日本までも一気に征服しようとする初めの意気込みはどこへやら、むしろ日本人にフィリピンを略取されぬように備えを固くすることになった。

 

白人たちがフィリピンにやってくるずっと前から、マニラには日本人がいた。スペイン人は、初めて日本人と対峙して、戦国武士たちの軍事力を思い知った。日本の征服どころか、奪ったフィリピンを乗っ取られるかもしれないと恐怖していた。

宗教で日本侵略を試みるが...

(P169)

船長ランデチョが大阪滞在中、サン・フェリペ号の航海長フランシスコ・デ・サンダという者が増田にスペイン王の偉大なことについて話した。

 

増田はスペイン王がどうしてそんなに多くの国々を征服し得たかについて尋ねると、まず征服せんと欲する国に宗教伝道者を送り、国民がキリスト教に傾いた頃を見計らって今度は軍隊を送り、新しいキリスト教徒達に援助させるから容易なのだと答えたという。

 

増田はこれを聞いて、実に恐るべきことだと思って秀吉に報告した。

 

(P172)

死刑の宣告はバプチスタほか六名のスペイン司祭及び十八名の日本人キリスト教徒に対して下され、大阪、伏見、堺の町を引き回された上、長崎に送られて、一五九七年、十字架上の露と消えた。

 

スペイン人は武力でねじ伏せれなくとも、キリスト教によって他国を侵略するという手を持ち合わせていた。しかし、それに気づいた秀吉がキリシタンを一掃して、スペイン人のアジア侵略の計画は暗礁に乗り上げた。

態度を一変したスペイン人...

(P66)

太守は秀吉の態度をすこぶる傲慢なものとして怒ったけれども、フィリピンの防備が完成するまでは秀吉の御機嫌を取り、彼の喜びそうな返事をしておくがよいという結論にいたった。

 

当時それほどフィリピンは無防備ではなかったのであるが、秀吉の攻撃を防ぐ自信はなかった

 

(P72)

ダスマリナスの日本人防御計画の概要であるが、もし読者がその全文を読んだならば、いかに日本人が彼らに恐れられていたかに驚くであろう。

 

(P178)

秀吉に対していかにして報復すべきかについては色々の意見が闘わされたが、とにかくサン・フェリペ号及び司祭処刑の件に関して、秀吉に抗議を申し込むために第三回の使節を送ることに決し、太守はその使節としてドン・ルイス・ナバレッツという者を選んだ。

 

秀吉に抗議を申し込みに行くとはいえ、その威力を大いに恐れていたスペイン人は、正面から堂々抗議を申し込むだけの勇気はなく、使節は秀吉への贈り物として、金銀作りの武器、刀、布類、象一頭及び象使いを用意した

 

(P263)

スペイン人は、日本との貿易続行を念願していた。

 

スペインはとにかく日本人を恐れていた。当初は日本の侵略は簡単と意気込んでいたが、最終的にはフィリピンの支配も広がらず、侵略予定だった日本に、金品を送り、ご機嫌をとっていた。

 

さらに、日本との貿易続行を念願として掲げるようになった。

アジアの平和は武士が作った?

これまで国内の事件ばかりが取り沙汰される戦国日本ですが、その時代の武士たちは、その武威を持って、白人列強のアジア侵略計画に終始を打ったのです。

 

これらの事実は、スペインのフィリピン領有以来のスペイン官憲、司祭、探検家、航海者等の本国への報告や記録によって実証されたものですが、、、

 

なぜ、著者:奈良静馬は1942年にこのような実証を集めてこの本を出版したのか、、、?

 

それは、大正十年、奈良静馬が米国に遊学中の頃、米国ではワシントン会議が開かれていました。そのワシントン会議ではアメリカは日本にフィリピン侵略の野望があると濡れ衣を着させて、日本の発展を徹頭徹尾、阻止しようとする日本いじめの会議でした。このことについて奈良静馬はこう記しています。

 

(P4)

アメリカ人は海洋民族たる日本人の古来からの活動を知らない。まして広遠雄大なる天皇の統治についてはなおさらのことで、彼らの大部分は、我が国民を狭小なる本土にのみ満足する仙人隠者か、さもなければ、他から不当なる圧迫を受けても何ら反発する気力のない国民と考えていたのである。

 

かかるアメリカ人の日本民族に対する無知と、自らの国力に対する過信とが、ついにかくのごとき威嚇、恫喝なる態度に出て、さらに、現在の日本に対すると同様、過去の日本民族の活動発展をも無視し、抹殺せんとするにいたらしめたのである

 

されば、当時、現地にあった私は、この際、彼らの日本に対する間違った考えを痛感し、これがためにはアメリカ人自身の読み得る資料をもって、古来日本人の海上活動の功績と、日本人の実際の活動を知らしめる必要があると考えた

 

つまり、アメリカは日本のことを何も知らないから、日本を好き勝手に侵略国扱いして、下に見てきているということです。

 

そうして、反論として日本の功績をアメリカに知らしめるために出版された書籍が、『西班牙古文書を通じて見たる日本と比律賓』でした。

GHQにより抹消された記録

しかし、そのような経緯で出された本書はGHQに没収されました

 

なぜなら敗戦した日本にやってきて占領政策をおこなったGHQにとって、白人による侵略の歴史、、、強くアジアを守っていた日本人の記憶は日本を弱体化させる上で不都合だったからです。

 

戦国日本の海外活動を記録したこの本をGHQが没収したのもそのためです….。これを焚書(ふんしょ)と呼びます。全部で七千数冊に及びます。これらは、GHQが知られたくなかったことのほんの一部にすぎません。

 

今は戦後75年です。

 

白人が戦国時代からアジア侵略を企てていたこと、、、

日本が戦国時代から軍事大国だったこと、、、

日本が世界情勢の掌握に長けていたこと、、、

日本が侵略の危機にあったのにもかかわらず、植民地にならなかった本当の理由、、、

キリスト教追放や朝鮮出兵の真意、、、

 

今では、ほとんどの人が戦国時代のこのような事情を知りません。

 

このような書籍が流通していない今、奈良静馬がワシントン会議の時代に危惧していたことと同じように、また他国から言われない侵略扱いや不当な評価を受けるかもしれません、、、

 

それこそがアメリカ、GHQが意図していたことでした。

GHQが戦後の日本人に知られたくなかったことをあなたも知ってみませんか?

 

そこでぜひ多くの人に真実を知っていただきたいと思い、この『西班牙古文書を通じて見たる日本と比律賓』の復刻に取り掛かりました。

 

そしてこの度、これを見てくれているあなたに復刻版をお届けしようと思いご案内いたします。

 

本書の詳細は以下の通りです…

目次

 

 

第1章 ・・・P21

フィリピンにおける日本人とスペイン人との初めての接触

 

・マゼランのフィリピン発見 ・・・22
・日本人、スペイン船を襲撃す ・・・23
・スペイン人、琉球攻略を企てる ・・・24
・日本人とスペイン人との激闘 ・・・26
・日本船十八隻一千人をもってスペイン船を攻撃す ・・・28
・比島太守ペナロサ、日本人の勇敢を説く ・・・30
・フェリペ二世、日本使節厚遇の理由 ・・・32

 

第2章 ・・・P33

フィリピンにおける日本人傭兵

 

・日本人六千人を傭兵せんとす ・・・34
・松浦氏の使者とフェリペ二世 ・・・39

 

第3章 ・・・P47

日本人、フィリピン人と共にスペイン人征討を計画す

 

・日本人と島人との誓約 ・・・48
・日本、海外発展期に入る ・・・51
・島人の反乱と日本船抑留 ・・・52
・新太守ダスマリナスと日本 ・・・53

 

第4章 ・・・P55

秀吉、フィリピン人の入貢を促す

 

・日本とフィリピンとの外交関係始まる ・・・56
・秀吉とヴァリニアーニ ・・・57
・秀吉、フィリピン太守に降服勧告状を送る ・・・60
・浅野長吉の降服勧告状 ・・・62
・フィリピン太守と対日本人攻略防備 ・・・67

 

第5章 ・・・P73

秀吉とダスマリナス

 

・コボス、秀吉に面謁す ・・・74・コボスと原田喜右衛門 ・・・81
・第二回使者は喜右衛門か孫七郎か ・・・85
・喜右衛門、比島に着す ・・・89

 

第6章 ・・・P101

太守、布令を発してコボスを探す

 

・秀吉の真意探求に苦慮す ・・・102
・フアン・デ・ソリスの陳述 ・・・104
・アントニオ・ロペスの陳述 ・・・112
・支那人フアン・サミの陳述 ・・・126
・フランシスコ・デ・ローディ・デ・オナトの陳述書 ・・・129
・支那人ミゲル・オンテの陳述書 ・・・131
・アデュアーテ、コポスの最期を語る ・・・134

 

第7章 ・・・P137

秀吉が太守に与えた第二回降服勧告状

 

・秀吉よりルソン太守への手紙 ・・・138
・太守の使節、再び日本へ ・・・139

 
 

第8章 ・・・P143

秀吉、三度降服勧告状を送る

 

・ゴンサレズ、秀吉の降服勧告状を携えて帰る ・・・144
・新太守、秀吉の手紙に驚倒す ・・・146
・新太守より秀吉への返答 ・・・147
・会議を開いて返答の内容を和ぐ ・・・153
・スペイン王への対秀吉策報告書 ・・・157
・バブチスタ、秀吉を偽りて教会堂を建つ ・・・160

 

第9章 ・・・P167

サン・フェリペ号事件と秀吉のキリスト教弾圧

 

・サン・フェリペ号、土佐に漂着す ・・・168
・秀吉激怒、フランシスカン派僧侶を処刑 ・・・170
・関白の宣告文 ・・・172

 

第10章 ・・・P177

在比日本人に対する警戒

 

・秀吉へ第三回の使節を送る ・・・178
・副太守モルガの喜右衛門評 ・・・180
・日本人追放を策して成らず ・・・182
・秀吉とフェリペ二世の死 ・・・185
・秀吉没後の海の勇士の自由活動 ・・・187
・太守ロンクイロ、日本に海の勇者の処罰を要請す ・・・188

 

第11章 ・・・P191

日本人の優越を説く

 

・最初の日本人植民地 ・・・192

 

第12章 ・・・P195

家康とフェリペ三世

 

・フェリペ三世の勅諭 ・・・196
・家康とヘロニモ ・・・199
・家康、フィリピン太守に修交条約を提案す ・・・201
・Chinquiroの船、難破す ・・・204
・家康のフィリピン太守への書簡 ・・・205
・カンボジアの内乱と日本人 ・・・206
・支那人討伐に日本人を雇う ・・・208

 

第13章 ・・・P213

家康とその商業政策

 

・比島を対支貿易の仲介地たらしめんとす ・・・214
・ロザリオ号事件 ・・・215
・家康、スペイン人の征服慾旺んなるを警戒す ・・・216
・比島使節、キリスト教宣伝の方便として入貢 ・・・218

 

第14章 ・・・221P

サン・フランシスコ号事件

 

・比島太守ビベロの乗船、房州海岸に漂着 ・・・222
・ビベロと島津義弘 ・・・223
・スペイン、一旦徳川幕府の要求を呑む ・・・226

 

第15章 ・・・P231

支倉及びソテロの動静とフィリピン

 

・支倉の返事を得られなかった理由 ・・・232
・支倉とソテロ、ルソンに着す ・・・234
・スペイン軍用船、日本に漂着 ・・・235

 

第16章 ・・・P237

日本のキリスト教とフィリピン

 

・比島より司祭、日本に密航す ・・・238
・家康のドン・ベドロへの手紙 ・・・240
・家康が比島太守アキュナに送った手紙 ・・・241
・キリスト教徒百余名、ルソンに送られる ・・・244

 

第17章 ・・・P247

秀忠のキリスト教厳禁とフィリピン

 

・在マニラキリスト教司祭、日本渡航を企てる ・・・248
・伊達政宗のキリスト教禁圧とフィリピン ・・・249
・イギリス人、オランダ人、マニラ及びマカオ破壞を進言 ・・・250
・司祭、商人に扮してマニラより日本へ密航 ・・・251

 

第18章 ・・・P253

家光とフィリピン

 

・マニラのキリスト教徒、激昂す ・・・254
・日本への司祭派遣苦肉策 ・・・256
・松倉重政、比島征討を策す ・・・257
・島原の乱と比島のスペイン人 ・・・259

 

第19章 ・・・P261

日本とフィリピンの貿易

 

・日本、フィリピンを通じて支那と貿易す ・・・262
・スペイン人、日本に貿易根拠地を求む ・・・263
・日本と貿易の必要を説く ・・・264
・フィリピンより日本への輸入品 ・・・266
・日本よりフィリピンへの輸出品 ・・・268
・日本品に関税を課せず ・・・269
・対日貿易を奨励 ・・・270
・日比貿易反対論 ・・・271
・スペイン人、日本貿易独占論 ・・・272

 

第20章 ・・・P275

在比スペイン人の苦悶

 

・オランダ人と対日貿易競争 ・・・276
・日本人に航海術を教えるべからず ・・・278

 

第21章 ・・・P283

日本船の徴発と造船の注文

 

・オランダ船攻撃のため日本船を買入る ・・・284
・オランダ船へ日本船の物資供給の停止要求 ・・・286
・日本人を退去せしめんとして腐心す ・・・288
・太守ファジャルド、日本人追放を策す ・・・289
・ファジャルド、使節を日本に派遣す ・・・292
・日本人のための学校設立を企つ ・・・293

 

第22章 ・・・P295

在比スペイン人、台湾占領を企つ

 

・ヨーロッパ人、相次いで台湾に来る ・・・296
・ヴァルデス、台湾占領に向かう ・・・298

 

第23章 ・・・P303

タイ国における日比人の衝突

 

・タイ王、日本人にスペイン人討伐を頼む ・・・304
・スペインの報復、日本船燒払い事件 ・・・306
・太守、日本人への賠償を拒絶す ・・・309
・太守ニノ、日本との修交に努力す ・・・311

 
 

第24章 ・・・P313

フィリピン・スペイン人の対日警戒

 

・スペイン、日本のオランダ人追放を望む ・・・314
・らい病患者をフィリピンに送る ・・・315
・フェリペ四世、日本との親善を要望す ・・・317
・日比間の貿易関係全く止む ・・・319
・はしがき 米国フィリピン強取の顛末 ・・・320
・参考書 ・・・366


 

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『岸田政権の正体』
〜自民党派閥を辿るとみえる戦後政治の呪縛


*本講義はもともと、上島嘉郎さんの「ライズ・アップ・ジャパン」という会員制の時事解説サービスとして、有料会員様限定に制作したものです。会員様は月に1,980円の会費をお支払いいただいており、さまざまな会員サービスを受講して日々情報収集されています。*本講義は5点満点中4.8の好評価をいただいております。

 

 

 

岸田首相が「何もしない」理由は
自民党派閥の系譜にあった…

「岸田首相は、日本をいまのまま〝米国の半植民地〟を継続することを考えている」

産経新聞「正論」元編集長であり、この30年以上、最前線で永田町を取材してきた上島嘉郎さんによれば、そういえる根拠は彼の所属している派閥を見ればわかると言います。一体どういうことか?

岸田文雄総理は「宏池会」という自民党のいち派閥のトップです。この系譜を辿ると行き着くのは吉田茂です。
(吉田茂→池田勇人→宮澤喜一→加藤紘一→古賀誠→岸田文雄)
吉田茂の政策路線は一言でまとめると「経済重視、対米従属」です。つまり、アメリカに頼った半植民地状態で経済だけを発展させようという路線です。これは「吉田ドクトリン」と呼ばれています。これが、いまの日本をアメリカに逆らえない国にした根本的な原因です…。この頃から岸田総理の「決められない政治」は原型があったのです…

 

 

 

「独立回復」を目指した岸信介

その吉田ドクトリンに抗おうとしたのが、吉田茂の約2年後に総理大臣に就任した岸信介、安倍晋三元総理のおじいさんです。岸信介の政策は一貫して「独立回復」でした。だから岸信介はずっとGHQに押し付けられた「憲法改正」を目指していたのです。そして岸信介の血を受け継いだ安倍元総理が憲法改正に力を入れていたのもそのためです。

このように、自民党の派閥の「歴史」をみれば、戦後政治がすっきり見えてくるだけでなく、、、なぜ日本がいまだに憲法改正できないのかといった、戦後日本が抱える重大な問題点が浮かび上がってきます、、、

PART1 総裁選の岸田文雄はどこへ行った?

岸田政権を縛りつけている自民党の歴史的な問題とは…?


PART2 自民党と派閥

2000年、宏池会の分裂騒動。これが岸田文雄の「決断力のなさ」にもつながっていた…?


PART3 「戦後」をつくった吉田ドクトリン

清和会、宏池会、平成研究会…自民党の派閥争いと岸田文雄首相の人事に表れた安倍晋三氏への強烈な警戒感


PART4 与野党ともに「反日」が止まらないカラクリ

「小泉劇場」とも呼ばれたあの政治騒動の裏で狙われた郵政利権


 

 

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講師:上島嘉郎





上島氏は、エリート揃いの新聞記者のなかで、異色の経歴を持つ。 昭和33(1958)年長野県上伊那郡辰野町生まれ。母子家庭で育つ。 家計を支えるために始めた新聞配達がきっかけで、毎朝、すべての新聞を熟読するようになる。幼少時から読書家で勉強面でも優秀、その一方で空手にも熱中。中学卒業後は、「真の文武両道」を目指して、高校に進学することなく社会に出る。

その後、空手の修行のために四国に渡り、21歳で愛媛県立松山南高等学校に入学。高校在学中にアルバイトの1つとして新聞への投稿を繰り返していたところ、地方紙の社主の目に止まり、高校卒業後に記者の道へ。平成3(1991)年には、競争率数百倍とも言われ、東大・早慶出身者にも合格が難しい産経新聞の入社試験を突破し、産経新聞に入社。サンケイスポーツ編集局整理部に所属。以後、

平成7(1995)年6月退社。その後「月刊日本」創刊編集長をつとめる。
平成10(1998)年10月 産経新聞社に復帰。以後、雑誌「正論」編集部。
平成16(2004)年2月 雑誌「正論」担当編集部長。
平成17(2005)年11月 雑誌「正論」担当編集部長兼別冊編集長。
平成18(2006)年11月 雑誌「正論」編集長(兼別冊編集長)
平成22(2010)年10月 雑誌「正論」編集委員(兼別冊編集長)
平成25(2013)年12月より「日本文化チャンネル桜」キャスター。
平成26(2014)年7月に産経新聞社を退社。その後は「単騎」で活動。


雑誌「月刊日本」に参画するため一度は産経新聞社を離れるが、金美齢氏や当時の産経新聞常務の説得もあって産経新聞に復帰。 以後、主に雑誌「正論」に携わった。

「正論」時代には、石原慎太郎、渡部昇一、日下公人、竹村健一、西部邁、李登輝、早坂暁、松平康隆、曽野綾子、金美齢、上坂冬子、櫻井よしこ、長谷川三千子、百田尚樹といったビッグネームとの仕事に携わり、反朝日、反NHKの論陣を張る。「日本人の立場からものを言えるメディア」「自社の政治目的のためではなく、国民に真の情報を届けるためのメディア」と認知されるまでに育てあげた。

また、産経新聞退職後は、ジャーナリストとして雑誌、単行本執筆、テレビ出演など多方面で精力的に活躍中。

主な著書に『優位戦思考に学ぶ—大東亜戦争「失敗の本質」』(日下公人氏との共著、PHP研究所)、『韓国には言うべきことをキッチリ言おう!』(ワニブックスPLUS新書)など。


推薦文




石原慎太郎(作家)


この「正論」の元名物編集長は、気迫と男気溢れた日本男児である。 異色の人となりについては、氏をモデルにした私の「一途の横道」という短編を読んでほしい。 氏の著書が多くの人に読まれることを、私は以前から楽しみにしていた。※個人の感想です




日下公人(多摩大学名誉教授)


上島氏は、雑誌編集者として一時代を築くとともに、近現代史の研究者として戦後の通説とされた歴史観に縛られない「博覧強記」の人でもある。虚と実が交じり合う歴史戦において、「日本の真実」を語れる貴重な論客だ。※個人の感想です




金美齢(評論家)


上島さんとの付き合いは四半世紀以上になります。産経新聞社発行のオピニオン誌『正論』の編集者として長く論壇を支えてきた彼が独立し、著述やインターネット放送のキャスターとして活躍するのを頼もしく思っています。

彼はニューギニアやガダルカナル、サイパン、フィリピン、ビルマなどの戦跡取材のほか、台湾の李登輝元総統や〝老台北〟と呼ばれた蔡焜燦さんら、戦前日本の「真実の歴史」の扉を開く人々と数多く出会っています。私の夫の周英明が40年ぶりに台湾に帰国した折も同行取材してくれました。日台の歴史の絆は日本人に覚醒を促すものです。

どんな国にも光と影があります。日本は素晴らしい歴史を持つ国なのに、なぜ戦後の日本人は影ばかり見て、自らを貶めようとするのでしょう。子供たちが「我が日本」に誇りを持てるように、まず大人たちが、自虐でも、自尊でもない「真実の歴史」を知る必要があります。上島さんの話は大いに役立つでしょう。期待し、応援しています。※個人の感想です




三橋貴明(経済評論家)


「正論」編集長時代から有名な話なんですが、 上島さんはとにかく話が熱いし、面白いし、わかりやすい。 氏の熱い語りに触れるたびに、日本人の気高さ、日本人の誇りを感じることができ、「日本人で良かった」と思えます。素晴らしい語り部です。※個人の感想です


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